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初代一歩。ブログ

地に足をつけたらどこまでも堕ちる。しかし私に羽根はない。

異世界に鉄槌を:二『当日』~ 三『悪夢と月夜』

 
 鼻の奥にじんわりとしみる、蒸れたような独特の香り。左肩が燃えているように熱く痛む。
 ピ、ピ、と電子音が聞こえる。閉じているまぶたの向こう側が明るい。
 
 
 目を開く。
 
 そこは、病室。しかも、カーテンで間仕切りされていたり、個室になっているような場所では無い。
 横並びに五つ、白い医療用のベッドが並んでいる。ベッドには一目で重傷だとわかる人ばかりだ。
 ストレッチャーに寝かされた人は、頭まで白いシーツで隠れている。
 
 入り口から頻繁に運び込まれる患者は皆、体中いたるところ処置された形跡があって、意識があるものは希だった。
 
 
 俺の右腕には何本も点滴が接続されていて、動かせないように固定されている。
 めまいがして、今にも吐きそうだったが、助けを呼ぼうにも声が出ない。
 痛む左手で酸素マスクを取ろうとするが、いくら試しても外れない。それどころかマスクに触ることもできない。
 首を動かすと、ぎゅ、ぎゅ、と、首から頭に響く音がした。
 
 顔を向けて左腕を確認する。しかし、そこに、腕は無かった。
 
 
 
 三 悪夢と月夜
 
 
 
「っ!」
 
 跳ね起きる。
 冷や汗が出ている。背筋が痺れるようだ。心臓がバクバクと鼓動して、そのたびに熱い血が血管を駆け抜ける。
 
 病室の窓から月の明かりが差し込んでいる。
 
 疼く体を起こして深呼吸をした。
 つい、左手を動かそうとしてしまう。そのたび、気持ちの悪い違和感が体中を駆け巡る。
 幻肢痛には未だなれない。
 
 あれから二週間。俺は、まだ入院をしている。脳挫傷による左目の視覚異常があり、脳と左腕の術後経過観察が理由だった。
 
 無関係な世間では、すでにあの日の事件がすっかり過去のものになっている。
 あのとき、あの祭り会場で、死者二四名、重傷者六五名、行方不明者一名の大事故が起きた。
 最新鋭の科学捜査も行われ、ガス爆発、放火、テロ、様々な可能性を調査したが、現在も原因は不明とされているのにも関わらず。
 
「どうかしましたか?」
 
 相部屋の老人を起こしてしまったようだ。
「いえ……何でもありません」
「……そうですか。あまり無理は、なさらずに」
 老人は哀れむように言った。
 再び部屋は静まりかえる。月の明かりに照らされる右手を見る。彼女を思い出しながら左肩をさする。
 
 あの日から、毎晩、彼女のことを思い出す。そのたび、無いはずの左手に、彼女の手の温かさを感じる。
「……天坂さん……」
 彼女の名をつぶやく。
 この事故で、唯一の行方不明者、天坂雅。
 現場の片付けが終わった今現在も、彼女の行方はわかっていない。
 
 満月の明かりを受けて左目の奥がズキズキと痛む。静かに右目を閉じ、痛む目で観た。
 
 そこには、退屈そうにこちらを見るモノがいる。
 
「覚悟は決まったか?」
 
 それは、重苦しい声で言った。
 
 
 
 
 …………
 
 
 俺が意識を取り戻したとき、ベッドの横に知った顔は誰もいなかった。
 その代わり、真っ黒なスーツを着て、黒いネクタイを締めた男がいた。その姿は喪服そのもので、見舞いに来るには縁起が悪すぎるすぎる。
 
 男は、退屈そうな目で俺を観ていた。
 
「おはよう。ずいぶんと待ったよ」
 
 刺すような痛みを感じ、咄嗟に左目を閉じる。すると、男は視界から消える。
 驚いて、すぐ左目を開く、確かにその男は、不敵な笑みをこちらに向けている。
 右手で目を覆ったり外したりを繰り返す。三度繰り返し、この男の姿は、右目では見えないのだと理解した。
 
「何を慌てている?」
 男は、俺の右腕をつかむ。
「さあ、交渉の時間を始めようか」
 
 男が右手を優しく下ろした。
 
「悪魔の契約を結べ。彼女を救いたくば」
 
 
 
 
 …………
 
 
 
 失った左腕は呼び出しの代償。左目の痛みは、あちらの光が見えるから。男はそう説明した。
 そして、あの事故は、あちら側人々による、こちらへの干渉だとも、その影響で天坂さんはあちら側に行ってしまったと。
 
「私は『あちら側』のモノ。普段、こちらでは、悪魔。と呼ばれている。彼女を助けたいのなら、私と契約を結ぶのだ」
 
 男が不適に笑みを浮かべて左手を伸ばす。月明かりを不気味受けて、頭の角が光る。
「あちら側……」
「そう、こことは違う理の中にある。別の場所。高い壁に隔てられた、本来、交わらないはずの場所。私のような、『理の外』の存在や、直接壁に干渉できる極一部の特別な生き物だけが、お互いを観たり知ったりできる。それくらいい離れた場所」
「天坂さんは、その、極一部、に」
 男は不敵な笑みを近づけた。
「それは、そうだろう。だが、本人に自覚があるかは、また別の話だ。自覚があったとして、それが制御できるとも限らない」
 
 男は、俺から顔を離して、背筋を伸ばす。真っ暗な双眸でこちらをじっと見る。
「制御できるような奴は、さらに少ない。こちら側でも、あちら側でも、大抵は意図せず干渉して、神隠しになったり、行方不明になったりする。そして、再び戻ることは無い」
 
「……天坂さんは……どうなる」
 
 男はにやりと口角をつり上げ、伸ばした左手を握る。俺の左腕に痛みが走る。
 
「こちら側に連れ出す方法は存在する。代償の一部は確かにここにある。私は嘘をつくことはできない」
 
 男が手を開く。痛みが引く。
 
「当然、可能性の話。確実では無い。そして、成否には関わらず追加の、可能性に対する代償を頂く」
 
 とがった爪で俺の心臓を指さす。
「貴様が『あちら側』へゆく。彼女とともに戻ってくる。そのために、道は開こう。多少の手も貸してやる。だが、すべては、お前次第だ」
 
 
「その代わり、私は貴様の存在を頂こう」
 
 
 
 …………
 
 
 男はいつもと同じ、不敵な笑みを浮かべている。動物を観察する人間は、こんな目をしているのだろうか。
 
「さて、約束の一週間か……」
 男は、闇の空で煌々と照る月を見た。
「満月の夜だ。契約はを結べるぞ」
 
 悪魔は、月に手をかざした。満月の夜に悪魔との契約は行われる。かざした両手を大きく振って、夜空に指揮をしつつ、楽しそうに語り出す。
 
「特別に教えてやる。貴様の寿命は、あと、三ヶ月だ。貴様の脳挫傷は現代の医療では完全では無かった。今も、小さい血管から出血が続いている。二ヶ月と一週間後、裂傷が広がり大出血。何とか一命を取り留めるが、重篤な血腫が形成され、残り三週間意識を取り戻すこと無く死亡する」
 
 悪魔は俺に一歩近寄る。指揮をやめて顔を近づける。
 
「私と契約を結んだ場合、貴様の死後、その存在は私の存在の一部となる。貴様自身の存在は『初めから無かった』ことになる」
 
「つまり……」
 
「貴様を見送ったその瞬間から、貴様を知るものは、ただの一人もいなくなる。死体は……身元不明の謎の死体として処理されるだろう」
 
 しばしの沈黙。相部屋の老人は静かに寝息を立てている。悪魔との会話は、他の人間には聞こえていない。
 
 目覚まし時計の音が、コチ、コチ、と耳に触る。
 
「私は、一つ、提案する。契約の内容は、お前の自由だ。その脳と腕を元通りに直すこともできる。ただし、一つの契約で与えられるモノは一つだけ。代償と釣り合うモノだけ」
 
 
「どちらを、選ぶ?」
 
 
 天坂さんを見捨てる。そうすれば、俺自身は、この先も生きることができる。死後、忘れられるとしても、目前の死は避けられるし、死んだ後なんて、俺には関係の無い話だ。
 しかし。天坂さんは、もう、こちらに帰ることは無い。『あちら側』なる場所で生き、『こちら側』では死ぬ。
 
 天坂さんを助けにゆく。そうすれば、天坂さんをこちら側に連れ戻す可能性が与えられる
 しかし、結果がどうなろうとも俺は、二ヶ月で植物状態となり、三ヶ月で死ぬ、その後、俺は消える。
 
 
 
「天坂さんを助け出すことは……可能なんだな」
 
「可能だ。何度も言うが、嘘をつくことはできない」
 
 
 左腕はこの悪魔のモノとなったらしいが、それでも、この暖かい幻は、間違いなく、天坂さんの感触だ。
 
「……少し、聞いてもらってもいいかな。これは、契約とは関係ないお願いだ」
 
 悪魔は、窓辺に寄りかかった。窓を少し開ける。夏の夜の蒸れた匂いと、ぬるい風が部屋に吹き込んできた。
 
「いい夜だ。こんな夜なら、少し聞いてやってもいい」
「……ありがとう」
 
 悪魔は、ふふ、と笑う。
 
「悪魔に感謝する人間は、経験上、ろくな死に方をしない」
 
「俺も……そう思う」
 
 
 
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